2006年12月


12/31(日)

京都から戻りました。もうすぐ来年です。
今年一番の出来事はやっぱり入院でした。
今年の後半は教官に見てもらうセミナーが二つあったのですが。
それが二週連続で二つかぶる時が一回あって
キツイだろうなーと思っていたら
その二週間と入院がかぶりました。
午後9時消灯の縛りのもと検査の合間をぬって準備して
検査の予定をずらしてもらってセミナーに行っていたのですが
お医者さんは
「授業に出られなくて留年してしまったら大変だろうからやむを得ない。」
と言って外出許可を出してくれていたので
まさか僕が発表しに行ってるとは思ってなかったでしょう。
友達が「明日お見舞いに行くよ。」と言ってくれた時に
「ごめん。明日大学行ってるから無理やわ。」
という変な入院患者でした。
退院してから自分で色々調べたのですが
僕と同じ状態で病院に行って風邪と診断されて
そのままほっといて2週間くらいして死んじゃうケースもあるみたいで
保健センターで風邪だと追い返されたあと
大学病院に行ったのは本当に正解でした。
勧めてくれた人たちホントにありがとう。
ちなみに最近はかなり体調いいです。

ところで僕は「よいお年を。」っていう言葉を使うのが苦手です。
理由は、言ってからまたすぐに会ったら気まずいというのと
普段使わない言葉だからパッと口にでない
というのがあると思うのですが
ネット上でしたらこの通り
よいお年を。よいお年を。よいお年を。
よいお年を。よいお年を。よいお年を。
よいお年を。よいお年を。よいお年を。
よいお年を。よいお年を。よいお年を。
これくらい朝飯前です。その気になれば毎日でも書けます。
来年の目標はこれをリアルでも言えるようになることと
比較的健康に過ごすことです。比較対象は今年です。
ではよいお年を。


12/29(金)

こんにちは。
趣味は散歩です。

今日は8キロ。
明日は京都で年忘れ。


12/28(木)

今日は車で昼ごはんを食べに行って
おいて帰られたので10キロ歩いて帰った。
途中で線路があって近くに踏切がなかったので
フェンスの間から入って線路を横切った。
ついでに家から一番近いドトールに寄ってみた。
今日は雨は降らなかったが風が強くて寒かった。

明日はすべらない話でも見よう。


12/27(水)

大阪に帰っています。

実家ににいると全然歩かない。
これはよくないと思って
家から最も近いスタバ、ドトール、ベローチェ、ミスドを調べてみた。
ミスドが一番近かったので歩いていったら片道一時間近くかかった。
途中でガストがあって、しかも向かいが大久保塗装工業だったので
感動して入ろうかと思ったがすでに昼ごはんを食べていたのであきらめた。
今度晴れの日に一番近いスタバに行ってみよう。
一番近いベローチェにも挑戦したいのだけど25キロくらいあるので
なかなか第一歩が踏み出せない。


12/22(金)

この日記が3日以上更新されないと僕が死んだと思う人がいるようです。
だからといって更新する理由にはならないのですが更新してみます。

今日は今年最後のTEがありました。
Laumonの論文のepsilon-factorの積公式の証明で
どうしても計算があわないところがあったので聞いてみたら
「あ、ここはやばいですね。」という話になった。
最近あるp進の人がこの論文のp進版をやろうとして
この論文をよく読みなおしていたら
そこの計算があわないことに気づいて
たけし先生に質問してきたので先生も微妙に気になってたらしい。
「えっ、でもこんなんできてなかったら困りますよね。」
「困ります。Geometric Langlandsとかダメになっちゃうし、あと他にもいっぱい…。
でもこの論文はGabberとかもかなり読んでるだろうから
間違いが残ってるとは思えないんですけどにー。」
がばーの信頼厚いなー。
まあ確かにちょっとした計算上の問題だから
かしこい人が一工夫すれば簡単に片付きそうではあるけど。

セミナーのあと渋谷で6人で卓球。そのあと忘年会。
来たのは10人だけ。なんかよくみる顔ぶれ。
僕の入院中に病院に来てくれた人とのインターセクションが8人だし。
今日は落合くんの凄さを再確認した。弟子を取っているか聞くの忘れた。


12/19(火)

今日は本棚が届いた。テレビの置き場所に困る。

「あれもち?」
「いや卵やろ。」
「もちかと思った。」


12/18(月)

病院に検査に行った。
僕の体はまたしてもケトアシドーシスになっているらしい。
一瞬、これはまた
「今すぐ入院してくれるかな?」
「いいとも!」
→点滴の日々
という展開の再来かと思ったが
しばらくは通院で様子見ということになった。

今日は病院で2時間、薬屋で1時間待たされた。
薬屋なんて薬渡すだけなのに何であんなに待たされるんだ?
途中でふらっと入ってきたおじさんが
「ここって目薬あるかなぁ?」
と店の人に聞いたら
「はい。置いていおりますが、ただいま1時間待ちでございます。」
と答えておじさんは「じゃあいいや。」と言って帰っていった。
そりゃ帰るわ。

そのあと講義を聴きに中央大に向かった。
行ったことはないが中央大は本郷の近くにあるらしい。
せっかく遠出をするのだからついでに明倫館に寄っていくことにした。
何も調べず、地図も持たずに明倫館へ。
状況を整理すると
・明倫館には行ったことがある。
・中央大には行ったことはない。
・中央大は本郷の近くで後楽園キャンパスというらしい。
・本郷には行ったことがある。
・明倫館から本郷まで人に連れられて歩いたことが一度だけある。
・一つ目と四つ目の条件は五つ目から従うが気にしない。
明倫館から本郷までどれくらいかかったか忘れたけど
まあ一時間もかからんかった気がするし、中央大までも1時間もかからんやろ。
ということで地下鉄の駅を降りる。
病院で時間をくったせいで講義開始までもう40分しかない。
しかも降りた駅が神田。
降りてすぐに異変に気づいた。
「こんなとこ来たことないし。」
古本屋とか全く見当たらない。しばらくして
明倫館があるのは神田の神保町で降りるべき駅は神保町であることに気づいた。
知っているところから知らないところに向かうはずが
知らないところから知らないところに向かうことになってしまった。
さらに付加状況
・明倫館があるのは神保町。
・今いるのは神田。
・神保町は神田に含まれる。
おなじ神田なのだからここから神保町までは歩けるはずだ。
ということで歩き始める。
最初に「こっちが本郷方面」という標札を見つけたので
ひたすらそっちのほうに向かっていく。
でも全然見たことのある景色にならない。
かなり不安になってきた頃、突如本郷三丁目が現れた。やった。でもあと10分。
今度は後楽園という標札の向きに歩く。
しばらく歩くが中央大は見えないしそれらしき標札も全くない。
そもそも本郷から近いこと以外なにも知らんし。
仕方ないので近くにいた交通整備のおじさんに聞いてみた。
「ここらへんに中央大学のキャンパスってありますか?」
「いやー、聞いたことないねぇ。」
えっ!マジで。このへんじゃないのか。
そのあとあてもなく歩く。
もうダメだとくじけそうになった時に見えた「中央大学」の文字。歓喜の涙。
結局3号館に入った時にちょうど4時20分の鐘が鳴った。
なんか間にあっちゃったよ。
中央大学よ、感動をありがとう。


12/15(金)

入院した時最初に看護婦さんから日ごろの食生活について聞かれました。
「普段は朝ごはんを食べてましたか?」
「うーん。朝ごはんの定義がよくわからないですけど、目が覚めたらたいてい何か食べてました。」
「毎日3食たべてましたか?」
「よくわからないですけど、目が覚めてから次に寝るまでに3回食事をすることは多かったです。」
「この入院中に規則正しい生活を身につけて下さい。」

僕が入院していた病院は
夜9時消灯、朝6時起床
という斬新な生活時間を取り入れていたため
入院中はわりと朝起きて夜寝る生活をしていたのですが
退院したら2日でもとに戻ってしまいました。

朝起きて一日3食たべて夜寝る。
ということを医者から厳命されているので
ここ数日、何とかしてそれを達成しようと
かなり頑張ったのですが、どうしてもうまくいきません。
一日3食たべて夜寝るところまではいいのですが、どうしても朝起きられないのです。
そしてだんだん生活が後ろにずれていってしまいます。
僕は長距離走以外ならわりとなんでも無難にこなせると思っていたのですが
朝起きるのがこんなに難しいとは思いませんでした。
これほどの挫折感を感じたのは長距離走以外では初めてです。
世の中の多くの日本人は本当に朝起きているのだろうか。
にわかには信じがたいです。


12/11(月)

今日は親が注文した健康によいお茶とかいうのが代引きで届いた。
たかがお茶のくせに11000円もするらしい。
財布を見たら千円札がなかったので一万五千円出したら
お釣りがない。小銭でもないですか?とか言われた。
500円くらいしかないと言ったら
取り合えず10500円だけ払うことになった。
あとの500円はどうするんですか?と聞いたら
後でもらいに来ると言っていたが今日は来なかった。
多分もう来ない気がする。
500円得したのかもしれないけどこういうのはなんか気持ち悪い。

そういえば重要なことを書き忘れていたが
今後もし僕が突然ヘンな事を言い出したり奇行が見られたりしたら
僕が携帯しているブドウ糖10gを飲ませてやってください。
ほっとくと意識を失ってそのまま死にます。


12/10(日)

今日はなんかデフォさんから電話がかかってきて
「奨学金の返還誓約書の書類を書かなくちゃいけないんだけど
ちょっとお願いがある。」とか言われて会うことになった。
これで保証人になってくれとかだったらおもろいなと思ってたら、
連帯保証人の欄を母親本人の自筆でなきゃいけないのに
間違えて自分で書いてしまった。
上にある本人の名前と明らかに筆跡が同じだからやばいよこれ。
斜線で消して横に今井くんが書いてほしい。
とか言われた。
「そんなんそのまま出してなんか言われたら書き直せばいいんですよ。
だいたい保証人の欄はどうするんですか?」
「さのくんに書いてもらう。」
「それならいっそ、さのに保証人になってもらったほうがいいですよ。」
とか不毛な会話をしていたのだが
「ところで親の収入証明書とか印鑑証明書は手に入れてるんですか?」
と聞いたところ
「えっ!そんなのいるの!?」
「いや返還の手引きにおもいっきし書いてるでしょ。」
「これ難しくて読めない。」
「いやとにかく収入証明書とか印鑑証明書は要るんで
さっきの書類送って一緒に送り返してもらったほうがいいですよ。」
「あ、提出金曜までだから、これ完全にギャップだわ。」
「いや速達で出せば間に合いますよ。まあもし遅れそうだったら
提出先にあらかじめ言っといたほうがいいですよ。これどこに出すんですか?」
「知らない。」
この後も保証人誰にしたか忘れてたり
買ってきた封筒が小さすぎて書類を折りまくらないと入らなかったり
速達で出すって言ってたのにすでに80円切手買って貼ってたり
封筒に完全に封をしてから「えーっと、他に入れるものは…。」とか言って調べ始めたり
かなりめちゃくちゃでした。よく今までやってこれたよなぁ。
学部の時も書類出さなくて途中から奨学金もらえなくなったらしいけど。

今日はかなり歩いた。
三茶があんなににぎやかなところとは知らなかった。
本棚を買った。


12/9(土)

僕の主治医の先生はおいおい先生という名前で
病状や今後について全然説明してくれません。
一日か二日に一度くらい来てほんの少しだけ説明すると
「まあ、あとはおいおい…。」と言って帰っていきます。
非常に重要な検査結果でも結果を聞くと
「まあ、もうちょっと出揃ってからおいおい…。」
と言って帰って行きます。
来るたびに新しいことを話してはくれるのですが。
ちなみにおいおい先生というのは本名ではなくて僕がつけたあだ名です。

昨日は夕方落合くんがお見舞いに来てくれました。
喋っていると途中で薬剤師の人が来て
「明日の退院後の薬なんですけど…。」
とか言い出しました。
「えっ!僕明日退院するんですか!?」
「えーっ!主治医の先生から聞いてないの!?」
「聞いてないです。っていうか今日は会ってすらいないです。」
「あれー?そんなはずは…。」
みたいなことになりました。
薬剤師の人が戻ってからしばらくすると
おいおい先生が現れました。
「えーっと。明日退院になりました。」
その後に「あとはおいおい…。」と続いたら
絶対突っ込んでやったのですがさすがにそれは無かったです。
だからといって色々説明してくれたわけではないですが。
先生が帰った後、落合くんの武勇伝を聞いて感動しました。
落合くんに弟子入りしたいです。

落合くんが帰ってしばらくするとさのとデフォさんが
一緒にお見舞いに来てくれてびびりました。さのは二回目でした。
あの二人が一緒に来るとかかなり面白いし。
二人にはここの病院の心の診療科を薦めておきました。

というわけで今日退院しました。
入院も急でしたが退院も急でびっくりしました。

入院中は結構いろいろなことを考えました。
僕の人生には大きな目標が二つあって
一つは両親より先に死なないことで
もう一つは孫の顔を見ることなのですが
本当にそれらが達成できるだろうか?とか。
あと数学のことも。
僕は大学に入ってからは
博士課程まで進んで研究者を目指そうと思って
特に他の道は考えていなかったのですが
今回の病気のこともあって
もしかしたら数学は修士まででやめることになるかもしれない。
と思いました。
別に決めたわけではないですが。

さて病院にいた間は僕の体のことは
病院のひとがいろいろケアしてくれたわけですが
今日からは全部自分でやらないといけないわけです。
まあ本来、自分の体調を自分で管理するのは当たり前のことなんでしょうけど。
これまでそれができていなかっただけに
ちゃんとできるか心配です。


12/1(金)

やっほー!
あたっちゃった僕が外出許可を取って日記を更新しに来ましたよー。

そろそろ病院での生活に慣れてきました。
入院は3週間くらいになりそうです。
最初
「かなり進んでる。」
「普通は意識を失って救急で運ばれてくる。」
と言われてたのを思うと結構早く出られそうな感じです。
入院して思ったのは、月並みですが
看護婦さんはスゴイということと
数学の質問をできる人がいないということです。

入院一週間前の駒場の保健センターでの会話。

「風邪ですね。」
「あの、実は***じゃないかと思ってるんですけど…。」
「あ、それは無いです。若年性の***なんてほとんど無いですから。」
「えっ。(ほとんど無い⇒無い?)
「これくらいの症状なら風邪で説明がつきます。」
「はぁ。(説明がつくから何?)」

ホンマ保健センター爆破したろか。


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