2010年6月


6/27(日)

オンラインストレージを使って
一部のフォルダの同期を取ることにした。
これでパソコンの中にある論文を
iPhoneでどこからでも読めるようになった。
便利な世の中になったものだ。


6/26(土)

昨日東京に帰る時に、
iPhoneからEX予約の変更をしようとしたら
ページがうまく表示されなくて困ったのだが、
今日調べてみたら、EX予約ブラウザという
EX予約のページを見るためのブラウザがあるらしい。
EX予約ブラウザは有料なのだが、
ほかにもいくつかアプリがあって
i新幹線予約というアプリが無料だったので早速導入した。
JRがさっさと対応してくれれば何もいらないのだが。


6/25(金)

住むとこを決めた。
RIMSの助教のオフィスは普通二人部屋らしいのだが、
どういうわけか僕は
春まで准教授の先生が使ってた一人部屋がもらえるらしい。
教職員用の鍵で図書室が24時間使えるらしいし、
色々と便利そうだ。


6/24(木)

ガウスは志村多様体にしか興味がなかったらしい。


6/22(火)

明後日iPhone 4が発売らしい。
が、そんなことは気にせずiPhone 3GSを買ってみた。


6/21(月)

今日から、てるよしさんの集中講義。
今週中に京都で住むおうちを見つけたい。


6/19(土)

今日は父親の教授就任記念祝賀パーティーがあった。
数学だとそんなパーティー聞いたこともないが、
医学の場合は盛大にやるものらしく、
リーガロイヤルのワンフロアを貸し切ってたくさんの人が来ていた。
そんなの僕が出ても仕方ないだろうと思ったが、
母親から、父さんは僕に出てほしいと思ってる
と言われて、大阪に帰ってきた。

もし仮に、成功する人間を天才型と努力型に分けるとしたら、
うちの父親はどう考えても後者だ。
僕が子供のころから、
家にいても仕事をしているところ以外ほとんど見たことがない。
僕はそれを見て何も感じなかったし、
働く大人とはそういうものだと思って育ってきた。
世の中そういうものではないし、
そうある必要もないと気づいたのは最近のことだ。

うちの母親は二人姉妹の妹で、
姉妹は同じ職業の男性と結婚した。
数年前に母親がこう言ってた。
「お兄ちゃんは、最初から
向上心むき出しでギラギラしてたけど、
パパはそういうところが全くなかった。
ただ、常にコツコツと努力する人だった。」

父はいわゆるエリートではない。
もちろん医学部は出ているが、
それほど一流の大学ではないし、何浪かしている。
国家試験も何回か落ちていたはずだ。
しばらく臨床をした後、大学院に入って博士号を取って、
大学で研究をしていた。
あまり詳しい事情は知らないが、
僕が中学ぐらいの時に大学の付属病院に異動になった。
その付属病院は臨床中心で、そこで研究している人などいなかった。
だがその病院の地下室には、何年間も使われていない実験室があったらしく、
父はその実験室を掃除して使えるようにし、
毎日勤務が終わった後、そこで一人で実験をしていたらしい。
ずいぶん後になってから聞いた話だ。

それから数年して今度はとある市民病院に異動になった。
それこそ研究している人など誰もいない病院である。
多くの患者を受け持ち、週に6日以上勤務しながら、
父はそこでも研究を続けた。
今日聞いた話だが、市民病院に勤めていた7年間に、
First Author の論文だけでトップジャーナルに80本ほど掲載したらしい。
どこにそんな時間があったのか、本当に不思議だ。

パーティーではいろいろな先生のスピーチがあった。
大学関係者のスピーチでは、
父の研究業績や教育への熱意にふれるものが多かった。
そんな中で、僕の印象に残ったのは、
父が勤めていた市民病院の先生のスピーチで、
父の臨床への熱意をいくつかのエピソードを交えながら話すというものだった。
特別変わったエピソードではなかったが、
患者と接しているところを直接見たことのない僕にとっては新鮮だった。

最後に父のスピーチがあった。
短めのスピーチで、
内容は彼の父、つまり僕の祖父の話だった。
祖父は僕が小さいときに死んでしまったので、
僕の記憶には残っていない。
中国哲学の研究者で、その道の第一人者だったらしいが、
僕はそのことを最近まで全く知らなかった。
そんな祖父から、父が教えてもらった言葉に、知行合一という言葉があった。
四字熟語にもなっているので知っている人も多いかもしれないが、
陽明学の言葉の一つで、
知っているだけで実際に行わないのは、知らないことと同じである
という意味らしい。
父は医学を志したその時から
常にこの言葉を胸に刻んで頑張ってきたという話であった。

医学において臨床が一番大切というのは、
ある意味当たり前のことなのだろう。
一方で基礎研究と臨床を役割分担して考えるという考え方もあると思う。
だが父にとっては、二つは分けて考えられるものではなかったのだ。
僕は父から仕事の話を聞いて、その研究に対する情熱は知っていた。
だから、市民病院に勤めていた期間というのは、
ある意味で、父にとって少し不幸な時期だったのかもしれないと思っていた。
けれども、それは僕の勘違いだった。
臨床と研究に全力で打ち込めた数年間は、
父にとって充実した日々だったに違いない。
今日はパーティーに行って、そのことを知ることができた。
それだけでも、パーティーに参加した甲斐があったと思う。


6/10(木)

イルジーさんとのセミナーで読む論文は
結局ルビンテイト空間の論文になった。
イルジーさんに「君はツインタワーの論文をよむのか。」
と言われて、なんのことかと思ったのだが、
ルビンテイトタワーとドリンフェルトタワーの二つが出てくるからツインタワー
というジョークらしい。
そんなんくみ取れるわけない。

いとに「はじめてのフランス語」を貸した。


6/9(水)

Dゼミで発表する論文のチョイスを誤ったことに気づいた。


6/6(日)

ワンピースの58巻を買った。
第1刷は多くのページで
白い余白を印刷するというミスが起きてるらしいので、第2刷を買った。
第2刷でも一部のページで上下部分の余白が残っているので
第3刷以降で修正されるかもしれない。
第1刷発行日が6月9日で、第2刷発行日が6月10日となっているのだが、
ミスに気づいて慌てて第2刷を刷ったということなのだろうか?
初版発行部数の日本記録を打ち立てた本で盛大にミスプリしてしまって、
ミスをした印刷業者の人の安否が気づかわれる。


6/4(金)

帰国。


6/1(火)

セミナーで話した。
ショルさんがポイントをついた質問してくれて、
話しやすかったんだが、
最後のほうは教室がどんよりしてた気がする。
最近このパターンが多い。


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